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本学の学生、教職員が東北でのボランティア活動に参加しました

 9月23日から26日まで、気仙沼市小泉地区でのボランティア活動に、本学2年生の堀家史哉さん、バイオサイエンス学部の松島三兒教授、支援センタースタッフの戸田雄一さんの3名が参加しました。

東日本復興ボランティアツアーに参加して
  バイオサイエンス学科2年 堀家史哉

 9月23日から26日までの4日間、夜行バスでの移動(片道約15時間)だったので実質2日間、ボランティアとして被災地である宮城県へ行ってきました。テレビ画面を通してではなかなか分からない被災地の現状を一度自分の目で見ておくべきではないかと思い、参加させてもらいました。そこで見たこと感じたことを報告したいと思います。

 最初に向かったのは、宮城県気仙沼市の漁港でした。震災前は全国有数の漁場として盛んな場所でしたが、津波や地盤沈下の影響で鉄骨むき出しの建物や瓦礫の山が震災から半年経った今でもまだまだ残されていました。想像はしていましたが実際に見たその凄まじい光景は自分の想像をはるかに越えるものでした。

当時の惨状をそのまま残す気仙沼漁港

写真 気仙沼漁港1.JPGのサムネール画像

 

写真 気仙沼漁港2.JPGのサムネール画像

 

写真 気仙沼漁港3.JPGのサムネール画像

 宿で一泊した次の日はボランティア滞在施設ハッピードリームパークがある小泉地区へと向かいました。ここで清掃作業をした後東北名物である芋煮を作り、仮設住宅に入居されている方々を招いて芋煮会を開きました。小さい子どもからお年寄りの方まで集まっていただき、皆さんとても明るく楽しい交流ができました。この小泉地区は、地区の9割が壊滅したそうです。道路は崩れ、家があった形跡はほぼ無く、山でさえも津波でえぐられていました。
 押し寄せる津波の一部始終を見ていた子どもたちは、自分たちの家や友達を失ってしまったことに対してトラウマを抱え、突然泣き出しパニックになってしまうことも多いそうです。実際、津波でもう何もない場所での作業中に男の子が「○○くん家で何かやってる〜!」と言っていました。それを聞いて、ここにも家があったのかと思うのと同時に子どもたちはこれから本当に大変だなと思うと何かいたたまれない気持ちになりました。

仮設住宅の方を招いての芋煮会(小泉地区ハッピードリームパーク)

写真 小泉地区 芋煮会1.JPGのサムネール画像

 

写真 小泉地区 芋煮会2.JPGのサムネール画像

 帰りのバスでは南三陸町にある防災対策庁舎という場所へ向かいました。ここは、津波が迫るなか若い女性職員の方が最後まで懸命に避難を呼びかけ殉職されたことでニュースにもなったところです。この庁舎は、もともと津波が来ることを前提で様々な対策がとられていたのですが、十分に効果が発揮されることは無かったそうです。庁舎は安全だと言われていたにも関わらず今は見るも無残な形で残され、職員は全体の1/3しか助からなかったそうです。なぜ命を落とさなければならなかったのか、責任者の判断に疑問の声も上がっています。
 何にしても、この死を無駄には出来ないということで、献花台の前で追悼の祈りを捧げました。

多くの職員が犠牲になった南三陸町防災対策庁舎   津波で削り取られた山(小泉地区)

写真 南三陸町防災対策庁舎.JPGのサムネール画像

      

写真 小泉地区 津波で削られた山.JPGのサムネール画像

 今回、実際に自分の目で見た被災地の荒れ果てた姿に、毎日の何気ない日常はこんなにも脆く崩れ去ってしまうものなのかと痛感してしまいました。自分個人がしたボランティアはとても小さなことですが、これをまた次の人が少しずつでも繋げ続けていくことが長くなるであろう復興には大事なことだと思いました。